少年法と少年の死刑
斉藤 豊治
はじめに

 永山判決以後、長良川事件、千葉事件、光事件、石巻事件など重大な少年事件で死刑が宣告されている。石巻事件は、裁判員裁判で少年に死刑が言い渡された最初のケースであり、行為・結果がきわめて重大であれば、「少年であるか成人であるかは、関係ない」という形で、死刑選択が肯定されている。これが少年法の趣旨に合致するものなのか。このような流れを変えていくことが課題となる。
 少年法は、18歳未満の少年に対しては、刑の緩和を規定する(51条)。18歳以上20歳未満には緩和が行われない。しかし、このことだけで、量刑において少年を成人と同様の基準で行ってよいのであろうか。少年法1条の「健全育成」は、20歳未満の少年にも及ぶ仕組みとなっている。死刑は絶対的に健全育成と相いれない。しかし、少年法が死刑を排除していないことも事実である。この矛盾をどう扱うべきか。立法論と解釈・運用の両面で検討が必要である。
 死刑に関しては永山基準があり、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には」、死刑の選択も許されるとした。
 その後の判例につき、重大事件での死刑の例外性が緩和しているとの理解もある。光事件の第1次上告審は、「被告人の罪責は誠に重大であって,特に酌量すべき事情がない限り,死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない」とした。事案がきわめて重大な場合は死刑の選択が原則であり、死刑の選択を回避するには、「特に酌量すべき事情」が必要であるかのような判示し、広島高裁に差し戻して、死刑が宣告された。これに対し被告人側が上告し、最高裁は上告を棄却し、元少年の死刑が確定した。石巻事件の地裁判決も、光事件に比べて控えめではあるが、光事件第1次上告審の枠組みで死刑「特に配慮すべき事情」の存否を審査し、そうした事情は存在しないとして死刑を宣告した。
 刑事法研究者は、多くの場合、少年に特有な問題をさほど意識することなく死刑を論じている。他方、少年法研究者の間では、少年法20条2項および55条の保護処分か刑事処分かの選択に関して議論が蓄積されている反面、少年刑事事件の量刑に関する議論の蓄積は少ない。
 
検討の方向

1. 少年の死刑の違憲性
 端的に少年に対する死刑が憲法違反であるとする見解がある。現行法のもとで内在的に死刑の限界を主張せざるを得ない実務家にとっては使いにくい。そうした主張を主軸に弁論を組み立てると逆効果となり、少年の死刑を促進しかねない。違憲無効の主張は立法論や戦略として妥当であることは疑いない。

2. 特別な適正手続論
 死刑は特別な刑罰であるから、死刑適用の可能性がある事件には、特別に厚い適正手続を保障すべきという主張がある。裁判員裁判では、死刑事件に関し特別な配慮は全く行われていない。少なくとも、現行法の運用において、検察官は死刑求刑の予定を公判前整理の段階で被告人側に告知し、争点化することで、防御を十全なものにする必要がある。より重要なのは、評決の基準を改めることである。量刑に関して裁判員法67条2項は過半数ルールを採用するが、死刑の選択では、この基準を引き上げるべきだろう。こうした改善・改革は、少年事件に特有のものではない。
 少年事件に特有の制約としては科学主義の堅持がある。少年の刑事事件の審理は、第9条の科学的調査を活用して行うことが求められる(50条)。行為・結果の重大性に目を奪われて、50条の趣旨を没却するような量刑は許されない。裁判員裁判ではこのことを強調する必要がある。運用において科学主義を相対化する扱いは、認められるべきではない。裁判員裁判で科学主義を維持することが困難であれば、裁判員制度を見直して、少年の重大事件は裁判員裁判の対象から除外すべきであり、少なくとも死刑求刑事件の場合には、量刑段階での専門参審制度への移行など制度変更を設計する必要がある。

3. 永山基準の見直し
 永山事件は行為時少年の事件であるが、永山基準は死刑一般に関する準則であり、そのように解釈・運用されてきた。しかし、そのことが少年事件での死刑を制限するうえで、ネックになっている。少年に対する量刑も、健全育成を定めた少年法1条の適用を受ける。事件が重大・悪質であれば、少年であるかどうかは関係なく、死刑に処すべきであるという考え方は相当ではない。こうした考えが広まることを阻止するために、少年事件に関しては永山基準を修正した基準を設ける必要があろう。
 
考 察

1.二つのルート
 光判決第2次抗告審で宮川裁判官は、光事件で被告人の死刑を回避すべき事を説き、二重のルートで精神的未成熟が量刑に影響を与えると主張している。
 第1のルートは、精神的成熟度が相当に低いことがそれ自体として「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情」であるとするものである。第2のルートは、精神的成熟度の低さが強姦の計画性など犯情に影響を与えるとするものである。
 宮川反対意見の第1のルートが責任能力のレベルの問題なのか、それとも予防の目的に関わる問題なのか明らかではないが、どちらも成り立ちうる議論である。精神的な未成熟が是非弁識能力・行為抑制能力の軽減に関連づけられるならば、責任減少を導くこともあり得る。他方、精神的未成熟を特別予防と結びつける議論も可能であろう。予防目的と関連づける方向は、教育・保護によって成熟を促すことで、事件と向き合い内省を深め、犯罪傾向を克服するという道筋である。更生可能性が相当に存在することを立証することで死刑を回避するという主張である。無期刑は不定期刑の要素を持つから、仮釈放の可能性があるから、更生可能性の意義は大きい。
 少年の年齢や劣悪な生育歴も、精神的未成熟に強く関連している場合は、責任能力の軽減の方向で援用することができ、さらに、更生可能性という特別予防に結びつける立論も可能であろう。
 第2のルートは、精神的未成熟が直接に行為責任に及ぼす影響である。少年の重大事件では、行為の態様・手口、計画などに稚拙さが現れることが少なくない。確かにそれらは行為者人格の危険性の表れとみることも可能であるが、その危険性が精神的に未成熟な人格を基盤にしていることが少なくない。

2.少年の死刑の基準を重くすること
 少年法における18歳以上の少年の地位を死刑の量刑基準に反映するために、成人の同種事件と比較して、行為・結果が明らかに上回るものでなければならないとするアプローチも、ありえよう。
 同種事件との比較は、量刑では普通に行われている。裁判員裁判では、それ以外の裁判よりも重要な意味を持ち、そのために量刑傾向が資料として使われている。私が提唱したいのは、成人の同種の事件との比較であり、行為と結果の重大性が成人を上回っていることが、死刑選択の必要条件となるべきである。永山判決は、少年事件でありながら、基準自体は主として成人を念頭に置いて、提示されている。少年事件では、永山基準を適用して死刑が選択された成人のケースに比して、より重い行為・結果を生じていなければ、死刑の検討対象とは考えるべきではない。永山基準の示した基準のうち、とりわけ重要なのは結果の重大性ことに殺害された被害者の数である。ここでの判断も、行為・結果の客観面を重視して行うべきである。もう一つの比較の対象は、当該の少年事件と永山事件の比較であり、事件の重大性が永山事件を下回らないことである。
 こうして選ばれた死刑の可能性が残る事件について、さらに行為者の人格的要素に関する判断を加味する。具体的には犯人の年齢、性格、経歴および犯罪後の少年の態度、環境等を指標として、更生可能性を判断すべきことになる。年齢が18歳をどの程度超えているか、少年の精神的成熟度、少年の成育歴、更生の可能性などをこの段階で検討するべきであろう。少年の精神的成熟度、虐待を含む成育歴、更生の可能性の判断では、社会調査の結果の活用が肝要であるし、成人事件とは異なる資源を活用する条件が存在する。もっとも、更生可能性に関しては、犯行後一定の年月を経た段階で量刑選択を行うような場合には、情状鑑定等を活用し、その時点での人格の状態等を判断せざるを得ない。

3. 責任論
 責任論・刑罰論は相変わらず花盛りであるが、このテーマに即して言えば、行為責任は刑の上限を定めるものであり、予防目的は刑を軽減する方向で考慮するという原則を確認する必要がある。このことは、少年事件の量刑においてとりわけ重要な意味を持つ。不定期刑の長期に関する多数説は、行為責任が刑の上限を決めるとしている。少年について厳格に行為責任を維持しようとすれば、少年期特有の事情の多くは、特別予防に移されることになる。
 少年に対する量刑、とりわけ死刑の適用に関しては、人格責任論、人格形成責任論の展開が待たれる。人格責任論ないし人格形成責任論は主として常習累犯者の不定期刑を正当化し、刑を加重するものと解され、支持者が少ない。しかし、少年法の領域では、人格責任論ないし人格形成責任論を刑の軽減の方向で活用する余地があるように思う。人格形成の責任は、少なくとも20歳までの少年に関しては、刑を加重する方向ではなく、軽減する方向に展開することも不可能ではないであろう。
 
結びに代えて

 日本で最初の近代的刑法である明治13年刑法典では、満20歳未満の者には「罪一等を減じる」としており、死刑は適用されない仕組みとなっていた。今から130年以上前のことである。明治40年刑法典では、この仕組みは消滅し、少年法の規律にゆだねられ、戦後少年法に引き継がれ、今日に至っている。子どもの権利保障が憲法および国際人権法の分野で大幅に改善されてきているにもかかわらず、少年に対する死刑の適用は現在に至るも、否定されていない。これを放置することは、もはや許されない。
 

 
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