第4回講演会(2016年12月18日)
『改正』刑訴法とえん罪 ― 第1部 司法取引 ―
目次
報告「日本型司法取引とは何か」
報告「美濃加茂市長事件 ―控訴審『逆転有罪』不当判決の検討―」
パネルディスカッション
 
報告「美濃加茂市長事件
―控訴審『逆転有罪』不当判決の検討―」


郷原信郎氏(弁護士、元検察官)
  * 不当判決の問題点
* 美濃加茂市長事件の概要
1.一審での無罪判決まで
* 検察の主張
* 弁護人主張
* 一審判決
2.控訴審は破棄自判有罪に
* 検察の控訴趣意
* 職権証人尋問実施以前の裁判所の心証
* 「判決書差入れ事件」という想定外の事態
* 証人尋問に対する検察官・弁護人の主張
* 控訴審判決(中林証言の信用性を肯定)
* 被告人質問なしの逆転有罪は極めて異例
* 控訴審では藤井市長の「生の声」を聴かず

***不当判決の問題点***

(1)中林控訴審尋問を「なかったこと」にする一方で、結論を変更した(重大な論理矛盾)。
控訴審判決は、「控訴審での証言が骨格部分で一審証言と整合するから証言が信用できる」とする検察官の主張を排斥しただけでなく、控訴審の中林証言は、事実認定にも信用性の判断にも全く使わなかった。職権で行われた中林控訴審尋問を「なかったこと」にしたのであるから、同証人尋問が行われる前の状態、つまり、「中林証言の信用性について、合理的な疑いを容れない程度の心証を得ていない状態」に戻るはずではないか。
(2)控訴審判決の中林証言信用性判断は、従来の一般的な判断方法により行われた。
判決では、「意図的な虚偽供述の疑い」の有無が問題であることを認めている。@供述内容は相当程度具体的かつ詳細で、その時々の中林の抱いた感情や思いを交えたものであり、特に不自然な点はない。A状況証拠(資金の流れ、被告人との協力関係等)、BH・A、H・Iの一審証言による補強(原判決と正反対の判断)、C(控訴審中林取調べ警察官証言・取調べメモ等により)その時々の記憶に従って供述していたものと推認される。
検察官控訴趣意の「供述と裏付けの経過から、虚偽供述の可能性が論理的にすべて否定される」との主張について論及しなかった。
(3)一審被告人質問の速記録のみをもとに、「被告人は、中林から現金を受け取ったことはないと明確に否定する一方で、中林が各現金授受があったとする際の状況について、曖昧若しくは不自然と評価されるような供述をしている」との理由から、藤井市長の供述を「信用できない」として切り捨てた。しかし、現金授受の事実がなく、特に印象に残ることがなければ、1年半前の短時間での会食での会話内容・資料受領の有無を覚えている方がむしろ不自然だ。判決の理屈に従えば、他人に会う時は、必ずその時の会話の内容や受け取った資料の中身についてメモをとっておかなければならないことになる。例えば、会った相手が「現金を渡した」と言い出した場合、「現金を受け取っていない」という話を信じてもらえなくなる。同じく、「現金授受を見ていない、席を外していない」という同席者Tの供述についても、検察官調書の記載から「証明力」を否定された。(一審での供述経過・証言内容は無視)

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 弁護士の郷原信郎です。よろしくお願いします。私は、美濃加茂市長事件の主任弁護人を務めてきました。この事件は、いま後藤昭先生がおっしゃった協議・合意制度において非常に大きな問題だとされました引き込みの危険、虚偽供述の信用性をどう判断していくのかに関連して注目を集めた事件でした。
 私も昨年(2015年)7月の国会審議の際、参考人として衆議院の法務委員会に出て意見の陳述をしました。そのときにも、この事件に関連してお話をしました。この事件は昨年3月に一審無罪判決が出て、そこで重要な争点として、事実上の闇取引的なものをわれわれ弁護人は主張しました。最終的に一審無罪判決では、「意図的な虚偽供述の動機が存在した可能性がある」ことが指摘された。そこが、いわゆる日本版司法取引との関連性ということになるわけです。

**美濃加茂市長事件の概要**

(1)公訴事実
(浄水設備業者「水源」社長中林正善→藤井浩人美濃加茂市議会議員)
@2013.4.2昼ガスト美濃加茂店で10万円受託収賄
A2013.4.25夜山家住吉店で20万円事前収賄
(2013.6美濃加茂市長へ就任)
(2)証拠関係
ア 直接証拠は贈賄供述のみ
イ Aは捜査段階から一貫して授受を全面否認

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1.一審での無罪判決まで

 まず、市議会議員時代の藤井市長が、2013月4月に10万円と20万円の合計30万円を受け取ったという受託収賄と事前収賄の事件です。この事実については被告人、藤井市長は、全面的に捜査段階から授受を否認しており、直接証拠は贈賄供述のみです。
 検察官はこの事件をどのようにして一審で立証しようとしたか。贈賄供述者は中林といいます。「原資を裏付けるメール」が、「手記」と「被告人の資金繰り状況」とに符合することが、中林証言の信用性には疑いの余地がないことを裏付けているという主張をしました。ただ、原資といっても、わずか10万、20万ですし、たまたまその前にそのぐらいの金額の出し入れがあったといっても、それによって確実な裏付けになるべきものではない。メールといってもほとんど関連性のないもので、2回目の現金の受け渡しがあったという後に、「いつもすみません」というメールを被告人が中林に送っている。この「いつも」というのは、この前もお金をもらった、今度ももらった。だから「いつも」という意味だ。こういうことを検察官は主張しますが、ほとんど問題にすらなりませんでした。
 それから、贈賄資金を貸したという人物H・Aと、その後にそのようなお金を誰とはなしに渡した話を聞いたという人物H・I、これらの供述に関しても検察官は主張してきました。これはのちほど出てくる融資詐欺の一味の人間で、一審でもその供述さえ、証言、態度そのものから、かなり怪しいとの疑いが濃厚でした。われわれはその点を主張していました。そして、検察官は、供述内容が具体的かつ自然、供述経過が自然だということを、信用性に疑いの余地がないことの根拠として主張してきました。

***検察の主張***

●中林証言の信用性に疑いの余地はない。
@中林の贈賄証言は、客観的証拠と符合する。
ア 原資の裏付け イ メールとの符合 ウ 被告人の資金繰り状況との符合
A関係者の証言と符合する。
ア 贈賄資金を貸した(H・A) イ 贈賄の話を聞いた(H・I)
B供述内容が具体的かつ自然
C供述経過が自然

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 いってみれば、従来と同様の「供述の信用性の評価」を行おうとして、BCを中心に主張したのです。
 それに対し、弁護人からはこのような主張を行いました。中林証言は合計で4億円近くの融資詐欺で、その中には公文書の偽造なども含まれる非常に悪質な融資詐欺です。そのうちのわずか2100万円分しか立件されていない状況で、贈賄供述が始まったものです。その後、融資詐欺の余罪は不問に付されていたことに気がつき、弁護人側から起訴されていない融資詐欺について告発を行いました。
 その結果、検察官は4000万円を追起訴せざるを得なくなった。追起訴がなければ贈賄供述者にとって、もくろみどおりの有利な状況になっていたはずです。そこで、「意図的な虚偽供述、あるいは闇取引の疑いがあること」を主張したわけです。そして、記憶に基づく証言、供述ではない「作り話」なので、供述後に、いろいろな事実が明らかになってきて、事後的なつじつま合わせが行われていることを主張しました。
 もう一つ重要だったのは、同席者が常に存在していたことです。同席者の存在があり、この同席者は現金の授受も見ていないし、席も外していないことを供述していました。そういう意味では、現金を渡したという供述と被告人等の同席者と2対1ですね。ということで、この同席者の存在が贈収賄の認定に非常に邪魔だということで、当初から警察で相当威迫的、拷問的ともいえるような取調べが行われて「席を外したこと」を認めさせようとしていましたが、最終的には「授受も見ていないし、席も外していない」という供述を行い、一審の法廷でも証言をしました。警察での調べ、検察での調べなどにも、いろいろ問題があると主張しました。
 そして、被告人供述ですが、こういうことを言っていました。市議会議員時代に太陽光の発電システムと雨水を生活用水に使うという浄水プラントが、災害時に非常に有効だと考え、市議会議員としてこの導入のために活動していた。確かに、その結果、実験プラントということで、美濃加茂市に全く費用がかからない形でプラントが導入されことは事実ですが、それはあくまで市議会議員としての、美濃加茂市民のための活動をやったにすぎないことをずっと主張していました。このようないろいろな業者、贈賄業者との関係については説明をしていて、「合理的なのだ」ということを主張しました。

***弁護人主張***

●中林証言
@「闇司法取引」又は「意図的な虚偽供述」の疑いがある。
4億円近くの融資詐欺(公文書偽造)のうち2100万円しか立件されない状況で、贈賄供述⇒その後、融資詐欺余罪は不問に⇒弁護人の告発により4000万円を追起訴
A「事後的な辻褄合わせ」の可能性
●同席者の存在
「現金授受を見ていない、席も外していない」
警察での威迫的、拷問的取調べ
(「現金を渡していた」と仮定したら)検察での策略的調書作成
●被告人供述
浄水プラント導入⇒災害時の生活用水の確保 ※美濃加茂市民のための市議としての活動

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 一審判決は、まずこういう認定をしました。
 この贈賄証言は事実を基礎づける唯一の証拠ですが、全体として具体的かつ詳細で、不合理な内容も見受けられない。つまり、一般的には信用できるような内容であることを認めた上で、しかし、不自然な変遷があるとか、供述経過等の問題がある。この人物は先ほど申しましたように、その経歴・職業から考えて、法廷で体裁を整えた供述は困難ではないなどの問題があると。
 そして、これが非常に重要な点だと思いますが、証人尋問に当たり検察官との間で、贈賄供述者が証言したところでは、1カ月ぐらいにわたり朝から晩まで、いわゆる証人テストと称して打ち合わせをしていた事実がありました。入念な打ち合わせをやってきたから、合理的な供述となるのは自然な成り行きだということも理由として指摘しました。そして、意図的な虚偽供述をする動機もある。こういうことなどを指摘して、中林証言の信用性を否定したわけです。

***一審判決***

ア 中林贈賄証言が各現金授受の事実を基礎づける唯一の証拠
イ 中林の公判供述は全体として具体的かつ詳細であり、不合理な内容も見受けられない。
しかしながら、
ウ 捜査段階における供述経過、記憶喚起の経過といった重要な事実に関して説明に変遷があり不自然
エ 金融機関を相手に数億円の融資詐欺を行うことができる能力を有する人間には、法廷での体裁を整えた供述は困難ではない。
オ 証人尋問にあたり、検察官と相当念入りな打ち合わせをしてきたものと考えられるから、合理的な供述となるのは自然な成り行き
カ 融資詐欺に関してなるべく軽い処分を受けるため、捜査機関に迎合し、少なくともその意向に沿う行動に出ることは十分にあり得る。
よって、中林証言の信用性には疑問がある。

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2.控訴審は破棄自判有罪に

 それに対し検察官は、一審の検察官の主張とはかなり違う主張を控訴趣意でしてきました。まず一つは、「中林証言を離れて間接証拠により認定できる間接事実」から、現金の授受の存在が推認されると言ってきました。これは中林と被告人との間の癒着関係とか、癒着が深まっていく、それが現金の授受を推認させるのだという主張をしました。これが第1点です。
 第2点は、供述経過に関して供述が先行し、その後に客観的事実が把握されるという経過があった。そこからたまたまある内容の供述をしたら、それが偶然、その後に客観的事実と一致していることは論理的にあり得ない。そういう可能性がすべて否定できることを、いくつかの場合分けをして主張してきました。つまり、論理的に否定されるのです。
 明らかに一審の検察官の立証方法は、従来の一般的な供述の信用性の主張です。合理的、関係証拠の符合ということだけでは不十分だ、それぐらい中林供述は、経過からしても、もともと怪しいわけです。取引も疑われる。意図的な供述で疑われるような状況にあるから、こういう間接事実による推認とか、虚偽供述が論理的に否定できるという主張をしないと、なかなか覆せないという判断で、このような主張をしてきたと考えられます。これが控訴審の審理経過です。

***検察の控訴趣意***

ア 中林証言を離れて、間接的証拠によって認定できる間接事実から現金の授受の存在が推認される(控訴趣意の柱)。
イ 中林証言と整合する間接事実の内容や、中林の供述及び裏付けの経過、本件贈賄が捜査機関に発覚する前の時期に、中林が捜査機関とは無関係な第三者に被告人に対する現金供与を自認する発言をしていた等の事実から、論理則・経験則等に従って検討すれば、中林の虚偽供述の可能性は全て否定される。

 一審での検察官の主張・立証(中林の贈賄証言は、関係証拠と符合して供述内容が具体的で自然であることから、信用性が認められる)では不十分と考え、新たな立証の枠組みとして上記ア、イを主張したと考えられる。

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 昨年11月までで、おおむね検察官の立証は終わりました。検察官は中林の証人尋問は、控訴審では全く請求していませんでした。12月の打ち合わせ期日の際に、それを裁判所が職権で尋問することを検討していると示唆されました。そして、2カ月余りの期間をかけ検討した上、今年(2016年)2月23日の打ち合わせ期日で、職権で証人テストを行うことが決定されました。
 その際、検察官は、この証人尋問に対し強く反対していました。「いまさらそんな尋問をやっても記憶が減退している。もしやるのなら検察官にやらせてほしい」ということを強く申し入れました。しかし、それに対し控訴審裁判所の裁判長の対応は非常に徹底していて、「それは趣旨が違う。少なくとも証人テストは控えていただきたい」ということもはっきり言い渡したわけです。そして、実際には準備などにもいろいろ時間がかかり、それから3カ月後の5月に中林の証人尋問が行われました。
 この証人尋問では、結局のところ、こういうことが言えるわけです。この証人尋問までの経過からすると、少なくとも中林尋問に至るまでの検察官の立証で中林の供述の信用性が立証できる、認定できるというのであれば、この職権尋問は必要なかったはずです。この時点では、まだそれまでの立証では不十分だ、信用性について十分な心証が得られないということだからこそ、職権尋問が行われたはずです。

***職権証人尋問実施以前の裁判所の心証***

●検察官の控訴趣意に基づく事実審理が終了した段階で、その時点の証拠関係に基づき、中林証言の信用性が認められるかどうかについて、2カ月余りかけて検討した末、それまでの立証では不十分だと判断したからこそ、控訴審での職権証人尋問が決定された。
●「記憶の減退」を理由に強く反対する検察官の意見を押し切って、事前の証人テスト等を差し控え、中林の「生の記憶」を確認することで、中林証言の信用性について決定的な判断材料を得ようとして行われたもの。
つまり、職権証人尋問以前は、裁判所は「中林証言が信用できるとの心証を得ていない状態」だった。

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 ところが、実はこの職権尋問が行われる前に想定外の事態が起きたわけです。すでに服役中の中林の下に、中林自身の裁判で弁護人を務めた弁護士から、資料として藤井事件の一審の無罪判決の判決書(判決要旨だと言われているが、判決書と内容はほとんど同じ詳細なもの)が差し入れられたことがわかりました。この判決書には捜査段階での供述も、一審での証言内容もほとんど記載されています。「証人テストを控えろ」と言われましたが、実際には中林が証言すべき事項は、すべて事前に読むことが可能な状況でした。ただ、控訴審の職権尋問の際は、中林は一審とほとんど同様の証言を行いましたが、「一度目を通しただけで、ほとんど読んでいない」と証言しました。資料を差し入れた弁護士が面会に来て、「『あまり読まないでくれ。裁判所からはそのまま生の記憶で証言してほしい』と言われたので読まなかった」と証言しました。

***「判決書差入れ事件」という想定外の事態***

●融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林の下に、中林自身の裁判で弁護人を務めた弁護士から、尋問事項に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書(ほとんど判決書と同内容の「マスコミ向け判決要旨」)が送られ差し入れられる。
●一審判決書には中林の捜査段階での供述や、一審での証言内容がすべて記載されており、中林はそれらを把握して証人尋問に臨むことができるようになった。
つまり、実質的には「証人テスト」を行った場合と同様、中林の「生の記憶」を確認することは困難になった。
●控訴証人尋問では、中林は一審とほとんど同様の証言を行った。
一審判決書については、自分から弁護士に差し入れを頼んだが、一度目を通しただけでほとんど読んでいないと証言した。

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 証人尋問の結果を受け、検察官はこのように主張しました。「証言は、一審とその骨格部分が整合している。細部については記憶が減退していると評価できるけれども、結局、中林は自らの記憶どおり証言しているのだ」と主張しました。それに対し弁護人からは、一つひとつ判決書に書いてあることと証言内容を、尋問項目ごとに比較しました。その結果、一審判決書に書いていないことは、一審で証言したことでも全く証言できていない。そして、文言まで酷似している。しかし、二つだけ変えている部分がある。
 それはどういうところか。一審判決で「こういう理由で中林証言は信用できない」と、信用性を疑問視する理由とされた部分だけは証言内容を変えている。こういったことからして、これは一審判決書を熟読して尋問に臨んだことが十分に推認できる。それだけでなく、なぜそんなものを入手しようとしたのか。そもそも尋問が行われること自体もわからない時期に、なぜそのような資料を入手しようとしたのかを考慮すると、意図的な虚偽供述であることが一層明白になった、というのが弁護人の主張でした。

***証人尋問に対する検察官・弁護人の主張***

●検察の主張
「控訴審中林証言は、骨格部分は一審証言と整合し、供述経過などの記憶に残りづらい細部については記憶が減退していると評価できる。これは、中林が自らの記憶どおり証言しているためである」
●弁護人の主張
「中林は、@一審判決に書いていないことは証言せず、A一審判決書と酷似した文言を用い、B一審で信用性を否定する根拠とされた部分については証言を変更していることから、一審判決書を熟読して尋問に臨んだことが推認できる。そして、資料を入手しようと画策した行動と併せれば、意図的な虚偽供述は一層明白になった」
●控訴審証人尋問での中林証言につき、弁護人・検察官のいずれの主張を認めるのかが、控訴審の判断のポイントであるかのように思われた。

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 それに対し、今回の控訴審の逆転有罪判決の中で、中林の職権尋問について、このように触れられています。ここでは、なぜ職権で尋問したのかということに関して、検察官が入念な打ち合わせを行ったために、原審の公判証言が客観的な資料と矛盾なく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がない供述となるのは自然な成り行きと評価されたことを考慮して、わざわざ職権でやった。そして、検察官の事前の打ち合わせは控えてもらった。そのときの証人の具体的な記憶に基づいて供述してもらうことが目的であったことは認めています。しかし、その証人尋問の前に当裁判所としても予測していなかったという、判決書差し入れの事態が生じたことから、結局、裁判所のもくろみは達成できなかったことを明確に言っているわけです。
 それでは、どうするのか。ここで判決が言っていたのは、「だから当審における証言がおおむね原審どおりであるという理由だけで信用性を肯定することは差し控えるべきだ」。しかし問題は、それではどういう証拠によって信用性を判断するのかということです。控訴審判決は、まず検察官の控訴趣意の柱であった間接事実による推認。これでは現金授受が認定できないことを、明確に検察官の控訴趣意を否定しました。そして、ある意味ではもう一つの柱であったと思われる、供述と事後的な裏付けの前後関係等から論理的に虚偽供述の可能性が否定できるという部分も、特に採用していません。
 中林の控訴審の証言は当裁判所のもくろみどおりにならなかったことを認めた上で、そういう意味では検察官の主張を否定しています。では弁護人が主張するように、虚偽供述の疑いが一層強まったじゃないかということについては全く判断を示していません。要するに、控訴審での証言は何にも使わないで、まるでなかったことにされてしまったということです。
 では、何によって中林の信用性を判断したかというと、一審での検察官の主張に近い認定方法です。結局、中林証言は関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然である。そのような理由で、そういった点に関して疑問を指摘した一審判決の認定を否定し、信用できる。あくまで一審における中林証言を信用できるとしたわけです。

***控訴審判決(中林証言の信用性を肯定)***

●「中林証言を離れて間接事実だけから現金授受の存在が推認できるとはいえない」として検察官の控訴趣意の柱である(ア)を否定、(イ)についても、「論理則、経験則から中林の虚偽供述の可能性が全て否定される」という検察官の論理は採用しなかった。
●中林の控訴審での証言には全く言及せず、「それによって虚偽供述が一層明白になった」との弁護人の主張にも全く論及しなかった。
●一審での検察官主張に近い認定方法によって、「中林証言は関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然である」として、一審判決が指摘した供述の変遷や不自然さを一つひとつ取り上げて否定し、一審における中林証言の信用性を認めた。
●そして、中林証言によって、各現金授受の存在を認定し、さらに、中林から藤井市長(被告人)への請託、藤井市長(被告人)の権限に基づく影響力の行使があったと認定し、有罪判決を下した。

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 このような経過を考えると、控訴審判決にはいくつかの点で重大な問題があります。まず一つは、この審理の経過です。先ほども申し上げたように、少なくとも検察官の控訴趣意に基づく立証が終わった段階で、十分に中林の証言の信用性について心証がとれたのであれば、それ以上、職権の証人尋問など行う必要はなかったはずです。しかし、あえて2カ月以上の期間をかけて検討した上で、職権の証人尋問を行ったわけです。ところが、それが判決書差し入れにより、もくろみどおりにできなかったという結果に終わりました。要するに、証人テストを行わないで、生の記憶を確かめるためにやったのですが、それができなかったわけです。なかったことになったのであれば、その尋問が行われる前の状態についての心証で判断しなければいけないはずですが、なぜか一審の証言で判断をしたということです。
 それでは、一審の証拠関係により、中林の証言が信用できると判断した理由について、控訴審判決の判示はこのように言っています。本件では現金を渡したことが勘違いとか、記憶違いということは考えにくい。単純化すれば、意図的に虚偽の事実を述べている疑いがあると判断されるかどうかが問題なのだと。それは、まさにそのとおりで、われわれも主張していたとおりです。問題は、それから先の認定です。先ほど申し上げた一審の検察官の主張をほとんど全面的に認めているのです。
 弁護人は、間接事実による立証、言ってみれば便宜供与により現金授受が推認されるという主張に対して、徹底的に答弁書等で反論しました。そして、論理的に虚偽供述の可能性が否定されるという部分も、重要な可能性をいくつも指摘しました。ですから、そのままでは検察官の控訴趣意の主張は、採用できなくなったものだと考えられます。ところが、控訴審判決は、一審の証拠関係、一審での検察官の主張を採用する方向に行ったわけです。
 もう一つは、われわれが全く逆転有罪判決を予想していなかった最大の理由です。控訴審では、こういった理由で被告人の供述も信用できないという判断をしました。その理由は、中林から現金を受け取ったことはないと明確に否定する一方で、現金授受があったとする際の状況については曖昧もしくは不自然と評価されるような供述をしている。ということを一審の被告人質問の速記録、公判調書だけに基づいており、信用できない。中林証言のほうが信用できるという判断をしています。
 しかし、これは布川事件のことについて江川紹子さんもツイートしていて、私も全くそのとおりだと当時から思っていたのですが、犯人にとっては1年前、2年前のそのときのことも特別なことかもしれない。しかし、全く身に覚えのないことで疑いを受けている人間にとって、1年半前のこういう会食のときにどんな話をした、どんな資料を受け取った、そんなことを言われても覚えているわけがありません。ところが、速記録の中からそこの部分を抽出して、それで証明力がない、信用できない。同様に、同席者の存在ですね。これはかなり決定的な証拠だと思いますが、それも直接の証人尋問での心証ではなく、一審での同意書面の中の些細な問題を指摘しただけで証言の信用性を否定するという方法をとりました。
 申すまでもないことですが、最高裁が公表している司法統計などから見ても、一審判決を破棄して破棄自判をした事件で、被告人質問をしていない事件は10%にも満たない。しかも、そこには本来被告人質問をする必要のない事件も含まれるわけですから、おそらく破棄自判の逆転有罪判決が言い渡される事件のほとんどが、被告人質問が行われていると考えられます。

***被告人質問なしの逆転有罪は極めて異例***

●最高裁ホームページで公開されている「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第2回)」の「高等裁判所における刑事訴訟事件(控訴審)の審理の状況」によれば、控訴審判決で一審判決を破棄して自ら有罪・無罪を言い渡す「破棄自判」をした1474件の事件うち、被告人質問が実施されていない事件は、9.9パーセントの146件にすぎない(2006年司法統計より)。
●146件の中には、「法令適用の誤り・訴訟手続きの法令違反」の場合や、被告人供述と無関係な証拠上の判断で有罪判決が覆って「無罪」が言い渡される場合など、被告人質問の必要性がない「破棄自判」が相当数あると考えられることからすると、被告人質問が行われないで「破棄自判」の「逆転有罪判決」が言い渡される事件はほとんどないことが統計上にも裏付けられている。

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 一審での被告人質問の際、藤井市長は弁護人の質問や検察官の質問に答える。そのときの態度、表情、そういったことをすべて評価して、中林証言との比較で信用性が認められている。ところが、控訴審判決はそういうことを一切行わず、毎回控訴審の公判に藤井市長は出廷しました。毎回公判にはいたわけです。その被告人の言葉を一言も聞かないで、被告人供述は信用できないという判断をしたのです。
 このような美濃加茂市長事件の控訴審判決の結果でしたが、この事件と協議・合意制度における供述の信用性の評価との関係で考えると、一審の検察官の主張は、私に言わせればレベルの非常に低い主張だったと思います。協議・合意制度が導入された後、引き込みの危険との関係で重要となるのは、意図的な虚偽供述であるかどうかの判断です。従来のように供述が裏付けられているとか、他の証拠と整合していることをどんなに言っても、それはいくらでも経過によって作出できます。それだけでは「信用できる」という理由にはできません。ここが最大の問題だと思います。
 ところが、一審の検察官の主張は、その点をほとんど頭に入れないで、従来の信用性の評価を行いました。それに対し一審裁判所は、確かに従来的な判断基準からすると、それ相応の信用性が認められるように思えるけれども、やはり心証としていろいろ不自然な点がある。供述経過の変遷が不合理な点があるようなところに疑問を呈している。そして、虚偽供述の動機も存在している可能性があるとして、信用性を否定しました。

***控訴審では藤井市長の「生の声」を聴かず***

●藤井市長
収賄で起訴され、保釈後、多くの市民と直接対話し、「現金授受の事実はないこと」「市議時代の浄水プラント導入に向けての活動は美濃加茂市民のためのものだったこと」を繰り返し説明した。
●一審での被告人質問
藤井市長、弁護人の質問に自分の言い分・主張を計画に述べる。
4人の検察官が様々な質問をするも、覚えていることは明確に述べ、覚えていないことは覚えていないと説明した。
⇒一審の3人の裁判官は、藤井市長の供述は信用できると判断した。
●控訴審判決
被告人質問調書の中から記憶が曖昧だと正直に述べている部分を拾い出して、被告人供述全体が信用できないと判断した。

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 その後の検察官の控訴趣意、控訴審での立証のあり方は、私はある意味では協議・合意制度導入後のこういう供述の信用性の立証において、方向としては正しかったと思います。間接事実による立証は合意供述が発端となったものであっても、その後公判においていろいろ証拠収集をしてみたら、証言と離れてこういう間接事実から事実が推認できると言えるとすれば、それは引き込みの危険を防止するための非常に有効な立証方法だと思います。
 ただ、残念ながらこの事件では、われわれが主張するように現金の授受がないと確信しているので、その主張がもともと無理だった。先ほども言いましたように、便宜供与から現金の授受を、賄賂の授受を立証するのはもともと無理です。無理ですが、方向としては間違っていなかった。
 一方で、供述経過に関して客観的にしっかり立証していけば、論理的に虚偽供述の疑い、事後的なつじつま合わせの疑いが否定できる。これも正しい方法だと思います。しかし残念ながら、その論理的な否定という検察官の主張は、われわれ弁護人の反証により、ほとんど崩されました。そうなると本来、中林供述の信用性は否定する方向に働くはずです。意図的な虚偽供述の疑いが否定できないという方向に働くはずです。
 ところが、また一審の検察官の立証に戻ってしまったわけです。それがわれわれとしては全く理解できないところです。おそらく、協議・合意制度が1年半先の2018年6月までには導入されることになるわけですが、そこで実務上の最大の問題となる引き込みの危険をどうやって防止していくのか。そういう制度に見合った供述の信用性の評価を、どうやって実務上、高めていくのかということに関して、今回の控訴審判決は、ある意味ではまさに逆行する判決だったと言わざるを得ないのではないかと思います。
 もちろん、本件は即日上告しましたし、上告審でこの控訴審の判断を覆すべく、われわれは最大限の努力をしていこうと思います。しかし、それとは別の問題として、協議・合意制度の下における供述証言の信用性の評価のあり方について、もっと研究を続けていかないといけないのではないかと考えています。

 
報告「日本型司法取引とは何か」
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